年月日 出来事
大正2年 越後鉄道開通
大正2年
3月
青竜丸、柏崎浜で座礁
大正3年

柏崎回漕会社、土崎港・新潟港・直江津港・下関港に代理店を設置、年間石油30万箱積み出す

大正3年
11月1日
柏崎合資会社、西山出張所設置。西山駅に発着する日石・宝田の鉄道貨物を取扱う。
大正5年 日本石油化学研究所(中研の中身)柏崎に設置
大正6年 柏崎築港期成同盟会発足。中村藤八、同会の柏崎町委員となる。
大正7年
12月5日
中村文庫を刈羽郡立図書館へ寄贈
大正8年
5月19日
中村藤八、刈羽鉄道敷設の運動をはじむ
大正8年
6月1日
中村藤八の主唱により生田万遺跡保存会設立。埋骨場を整備、慰霊祭を営む。
大正8年
7月2日
刈羽鉄道期成同盟会発足。会長飯塚弥一郎、副会長洲崎義郎、幹事長二宮伝右衛門。中村藤八は幹事として東奔西走の運動開始。
大正8年
7月17日~19日
越後鉄道久須美常務らとともに千手町までの活線実地踏査を行う。千手町まで22哩、停車場10、工費概算4百40万円。
大正9年
3月25日
刈羽鉄道の運動のため上京中死去。27日、遺体柏崎につき29日葬儀。享年63才。
大正9年
5月14日
中村藤八死後、中村三郎が刈羽鉄道発起人を引つぐ、経済界不況も加わり後に中断
大正10年
10月1日
日石・宝田石油合併
大正11年
7月
日石本社東京へ移転
大正15年 中村三郎、小山了三、発動機船柏丸を新造、鯛縛網漁業を行う。柏丸は柏崎築港の完成により漁業経営の発展を期して建造された。