「地底の力」石油によって北越の小都市・柏崎は明治中期以降、近代化の洗礼を受けました。当時の国是というべき文明開化・殖産興業の両面にわたって、日本石油株式会社と柏崎近代史は切り離すことができません。
明治32年、当時我が国最大の設備、規模を誇る日本石油柏崎製油所が建設され、同時に本社が柏崎に移転、大正3年更に飛躍を求めて東京へ本社進出にいたるまで約16年間、日本石油の柏崎時代となりました。

柏崎近郊で勃興した西山油田噴油がその最大の理由であります。柏崎には大小企業の製油所が乱立、一時は40数社を数え、柏崎市史に「石油熱で狂乱す」とあるほど、油の町と化しました。柏崎は日本の石油精製基地の観を呈しましたが、やがて淘汰が進み、日本石油のみが激動期をくぐりぬけて発展、現代に及ぶ柏崎の根幹をなしてきました。

石油産業の興隆に刺激され、また必要から関連して柏崎に起った事業に海運、陸運の輸送会社、鉄工業、また日本鉱業協会等の新しい組織があり、社会文化の面ではこの時代に病院、中等学校、図書館、地方新聞および電話所など創立、開設が相次ぎ、広範囲にわたる近代文化の息吹きが認められます。

油田の副産物だった天然ガスを求め理化学研究所が進出、同所開発の自動車ピストンリング製造が昭和初年にはじまり、鉄工業の発達を促し、現在では東京電力原子力発電所が世界最大規模821万KWを擁して完成。柏崎近代史は、日本石油の石油をはじめとする天然ガス、原子力のエネルギー産業を基幹に置いており、石油の恩恵は現代につながっています。柏崎は一面では「エネルギー都市」とも言えるのです。